「明治大学校友会」の東京都北部支部と板橋区地域支部は7月10日、2021年12月の施設移転オープンを目指す「植村冒険館」リニューアルのための寄付金を板橋区に贈呈した。板橋区役所(板橋区板橋2)で贈呈式が行われた。
明治大学は、世界的冒険家として知られた故・植村直己さんの母校。植村さんが冒険に目覚めたきっかけは明治大学農学部に入学して山岳部に入部したことで、当時、登山経験は学校遠足程度で特に山が好きだった訳でもなかったという。「山岳部に入れば、緑の見られない都会の雑踏から逃れられて自然に触れることができる」「テントで同じ釜の飯を食えば、友だちも得られると思った」と入部の理由を書いている。
1970(昭和45)年5月11日に日本山岳会エベレスト登山隊と共に日本人初の世界最高峰エベレストの登頂に成功し、同年8月に北アメリカ最高峰デナリ(当時の名称はマッキンリー)の単独登頂を果たして、世界初の五大陸最高峰(イタリア・フランスの最高峰モンブラン、アフリカ最高峰キリマンジャロ、南米最高峰アコンカグア、中国・ネパール最高峰エベレスト、デナリ)登頂者となった。その後、数々の冒険で偉業を成し遂げるも、43歳の誕生日を迎えた1984(昭和59)年2月12日に世界初となる冬季デナリ単独登頂に成功した翌日の無線交信を最後に消息不明となり、その後捜索が打ち切られた。同年4月に国民栄誉賞を受賞。
明治大学は同年6月に植村さんに名誉博士号を授与し、生田キャンパスに「植村直己記念碑」を建立。1969(昭和44)年夏から行方不明になるまでの約15年間、板橋区仲宿のアパートを生活拠点にしていたことなどから、板橋区は植村さんの数々の偉業を成し遂げた冒険精神を顕彰する目的で1992(平成4)年に植村記念財団を設立(現在は公益財団法人)し、板橋区蓮根に植村冒険館を開館した。遺族から譲り受けた装備品や活動を伝える写真など約1500点に及ぶ資料の展示や、冒険に関する図書の貸し出しや自然を体験する事業などを行っている。
現在の植村冒険館(板橋区蓮根2)は展示コーナーが手狭であることや常設展示室がないことから、移転を計画。「スポーツと冒険の融合」という新たなコンセプトで、植村さんが数々の冒険に向かった仲宿から徒歩5分とかからず、多くの子どもたちでにぎわう区立東板橋体育館(板橋区加賀1)の大規模改修工事に合わせて施設移転・複合化を行う。同体育館3階に常設展示室を設け、1階にもギャラリースペースを設置する。
同館の改修プロジェクトを担当する板橋区スポーツ振興課職員の小倉浩和さんは、「植村さんの生誕80周年を迎える2021年中のリニューアルオープンに向け、6月に新・植村冒険館のデザイン設計を手掛ける業者を決定したばかり。植村スピリットが感じられるような、冒険心あふれる施設へと生まれ変わるのを楽しみにしてほしい」と話す。
2019年から2021年までの3年間、ふるさと納税制度を活用したクラウドファンディングでリニューアルにかかる経費の寄付を募る計画で、1回目の募集は昨年終了。今年10月から2回目の寄付金募集をスタートする。
2021年7月に東板橋体育館の改修工事を完了させて、9月に体育館を暫定オープン。12月に館内の植村冒険館をリニューアル公開し、複合施設としての来年中のグランドオープンを目指す。