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「エスビーカレーアンバサダー」募集、始まる 「赤缶カレー粉」発売から70年

「#エスビーカレーアンバサダー はじまる。」特設サイト

「#エスビーカレーアンバサダー はじまる。」特設サイト

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 エスビー食品(中央区)は1月22日の「カレーの日」、「エスビーカレーアンバサダー」(以下「アンバサダー」)の募集を開始した。

1950(昭和25)年の発売開始から70周年を迎える「赤缶カレー粉」

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 同社商品「赤缶カレー粉」を1950(昭和25)年に発売し70周年を記念して行われる。黄色をベースにした特設サイトでは、「70年前、日本のカレーのスタンダード『赤缶カレー粉』を作った私たちは、これからもカレーで、世の中を、食卓を、皆さんと一緒に明るく笑顔にしていきたい。ニッポンのカレーを、もっとおいしく、面白くしていく仲間を募集する」と宣言している。

 エスビー食品の前身となる「日賀志屋」の創業は1923(大正12)年。当時高価な舶来品として国内に流通していた海外製カレー粉を参考に、創業者・山崎峯次郎は製法も分からない中で薬問屋などからさまざまな香辛料を入手し、「カレーのおいしさを多くの人々に届けたい」と手探りで調合を重ねて日本初の純国産カレー粉を独自開発。「赤缶カレー粉」は、今でもその当時に確立した秘伝の製法をベースに30数種類のスパイスを使って製造している。

 エスビー食品の東京工場は、正面入り口の外観が国会議事堂を模した造りになっていたことから「板橋の国会議事堂」と呼ばれて親しまれた。「赤缶カレー粉」の赤地に国会議事堂が描かれたパッケージデザインは、発売当時とほとんど変わっていない。

 東京工場の完工は1935(昭和10)年。完工時には国会議事堂型の正面入り口はまだなく、1947~1948(昭和22~23)年に建造物を増設した際に造られた。その数年後に発売した「赤缶」に描かれた国会議事堂デザインは当時の東京工場にちなんだものと思いきや、1933(昭和8)年から販売を始めた「白缶カレー粉」のパッケージデザインを踏襲したもの。「日本を代表する商品になるよう願いを込めた」とするも、国会議事堂をデザインに採用した正確な理由は明確な資料が残っておらず不明だという。

 なお、「板橋の国会議事堂」は1960年代初頭の工場建て替えで取り壊され、1981(昭和56)年に東松山工場(埼玉県東松山市)へ設備を移した。工場跡地には現在、同社研究所の「板橋スパイスセンター」が建ち、東京支店の中央営業所と、スパイス・ハーブやカレーの正しい啓発・普及を目的にした「スパイス展示館」(非公開)が同センター内に設けられている。

 「アンバサダー」は3月~8月の約6カ月間、エスビー食品から毎月送られてくるカレー関連商品でカレーを作り、「#エスビーカレーアンバサダー」などのハッシュタグと共にツイッターやフェイスブック、インスタグラム、note(ノート)などを通じて、商品やカレーの魅力を広く伝える役目を担う。そのほか、限定イベントへの参加が活動内容となる。アンバサダーは6カ月間ごとにメンバー交代を予定。募集人数は「30~50人程度」。

 応募は「#エスビーカレーアンバサダー はじまる。」の特設サイトの応募フォームで、当キャンペーンの問い合わせはお客様センター(TEL 0120-120-671、平日9時~17時)などで受け付ける。応募期間は2月11日まで。

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