今年3月に脳腫瘍のため41歳で亡くなったプロ冒険家・阿部雅龍さんを「送る会」が7月1日、開催され、阿部さんの恩師や友人、支援者ら約300人が集まった。主催は「人力チャレンジ応援部」(神奈川県大和市)。
南極の氷が飾られた献花台に、参加者は花代わりの「カラビナ」を手向けた
冒頭、阿部さんの冒険歴が披露され、阿部さんの母・由美子さんと来賓のあいさつの後、恩師や人力車夫仲間、冒険家仲間、支援者らによる激励の言葉や演奏、涙あり、笑いありの弔辞がささげられた。参加者による献花では、阿部さんにちなんで雪そりを献花台代わりに、色とりどりの「カラビナ」(登山などでロープやハーネスをつなぐための接続金具)を花の代わりに手向けた。
阿部さんは秋田県出身の冒険家で、日本人で初めて1912(明治45)年1月に南極探検を行った探検家・白瀬矗(のぶ)の物語に触れて幼少期から憧れを抱き、秋田大学在学中、冒険活動を開始。大学卒業、上京して浅草で人力車夫をしながら、冒険家の植村直己が生活拠点にしていた板橋区内で暮らし、北米や北極圏での冒険を経て、2017(平成29)年には人力車を引いて全国の一宮を参拝する6400キロの旅を踏破。2018(平成30)年の11月下旬に南極に降り立ち、2019(平成31)年1月17日に日本人初踏破となる「メスナールート」による南極点単独徒歩到達を成功。同年3月に「板橋区文化特別栄誉賞」を受賞。2021年11月に再度南極に降り立って、幼少期から夢に描いていた白瀬探検隊が南極探検で到達した最終地点「大和雪原」に立ち、そこから前人未到の「白瀬ルート」で南極点を目指すも悪条件が重なるなどして途中リタイア。念願は果たせなかったが、その挑戦が評価されて2022年に第26回「植村直己冒険賞」を受賞した。
「白瀬ルート」再チャレンジに向けてトレーニングを重ねていた2023年8月、脳腫瘍が見つかり、翌9月に腫瘍の摘出手術を受けた。今年2月に地元・秋田市内の病院に転院して治療を続けるも、3月27日に死去。あくなき挑戦と冒険の人生に幕を下ろした。
阿部さんの冒険をサポートし、同会の司会進行を務めた「人力チャレンジ応援部」の中村真さんは、会の締めくくりで「阿部雅龍冒険賞」創設を準備していることを公表。「今後もプロ冒険家・阿部雅龍を語り継ぎながら、若く、まだ名前も知られていない冒険家、アスリート支援を行っていきたい。賞の創設については、しっかりと協議を重ねながら準備を進めた上で改めて発表する」と話した。