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板橋区の冒険家・阿部雅龍さんが報告会 単独徒歩による南極点踏破再挑戦に決意

白瀬隊の写真を模して、「大和雪原」に旗を立てて黙礼する阿部雅龍さん

白瀬隊の写真を模して、「大和雪原」に旗を立てて黙礼する阿部雅龍さん

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 板橋区在住の冒険家・阿部雅龍さんが2月10日、南極「しらせルート」初挑戦の全貌(ぜんぼう)を語るオンライン報告会を開催した。

「SHIRASE 5002」艦内でのオンライン報告会の様子

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 阿部さんはこの日、やむなく途中で断念となった今回の冒険に関する報告と、今年11月に再挑戦する決意を伝えた。

 阿部さんは2019(平成31)年、日本時間の1月17日早朝に、日本人初となる「単独徒歩によるメスナールートでの南極点到達」成功を果たした。その後、新型コロナ禍の影響で2年間持ち越しとなっていた「単独徒歩による前人未踏のしらせルートでの南極点到達」の挑戦に向け、2021年10月23日に日本を出国。南米チリを経由してのフライトで日本時間の11月15日に南極ベースキャンプに降り立ち、同18日にベースキャンプから小型飛行機で「大和雪原(やまとゆきはら)」から約6キロ離れた地点に着陸。翌19日、日本人で初めて南極探査を行った白瀬矗(のぶ)中尉率いる白瀬隊が1912(明治45)年1月に到達して以来、誰も足を踏み入れることがなかったという大和雪原を訪れて今回の冒険をスタートした。

 当初は、白瀬隊の最終到達地点である大和雪原から南極点まで、「しらせルート」を延伸した約1220キロメートルの道のりを75日間かけて踏破することを計画していた。それが新型コロナ禍の影響で南極ベースキャンプの開設時期が遅れ、チリから南極へ向かう飛行機の出発も遅れるなどして、あらかじめ決められたベースキャンプ撤収期限までの残り日数は60日間となっていたという。加えて、ベースキャンプで飛行機会社と出発直前の打ち合わせをした際、想定ルートの途中に巨大なクレバス帯(氷河の深い裂け目)が2つあることを告げられ、やむなくクレバスを避ける迂回ルートを進むことに。このルート変更の結果、南極点までの道のりは1320キロメートルに延びた上、積雪が柔らかいエリアが長距離に及んだことからソリを引いての進行距離が思うように伸びないなど悪条件が重なった。

 ウェブサイトに掲載するための短い冒険リポートを日々送る中、南極で新年を迎えたことを伝えるリポートには「やれる限りやってきたが南極点に到達するのは極めて困難」と制限時間内での目標達成ができそうにないという見通しを明らかにするも、「タイムリミットまで一歩でも南極点に向けて前に進みます」として、単独徒歩では誰も成しとげていない、クレバスの多い南極横断山脈の登り路に挑んだ。山脈の氷河を登りながらベースキャンプの現地スタッフと協議を重ね、最終的には標高1000メートルほどの中腹付近まで登った地点で撤退、プロペラ飛行機が着陸できる安全な平地まで下山してピックアップを受けることを決めた。約200キロメートルの人類未踏地を含め、54日間かけて約780キロメートル歩いた最終到達地点で、阿部さんは白瀬隊の隊旗を掲げて記念撮影している。

 阿部さんは「コロナ禍だからこそチャレンジしたいという気持ちもあったが、想定不足や事前のコミュニケーション不足もあり、悪条件も重なったとはいえ、目標未達成となってしまったのは自分自身の至らなさ」と反省の弁を述べた上、報告会の終盤で、白瀬隊の足跡を最終ゴールとなる南極点までつなぐ再チャレンジを今年11月に実行するプランを語った。

 クラウドファンディングを含め、スポンサー企業の方々の力も借りて応援資金を集めながら、「しらせルート」再挑戦に向けてランニングやジム通いなどでトレーニングを継続。8月にはグリーンランドを横断する公募登山隊のようなものに参加し、南極に似た厳しい環境に3週間程度身を置いて約500キロメートルを歩く予定を立てているほか、昨年からライフワークとして取り組み始めた子どもたちと数日かけて100キロ歩く「三陸海岸100キロウォーク」も行うという。社会情勢や資金面など状況が許されれば11月25日ごろ、今回ピックアップを受けたポイントに飛行機で降り立ち、そこから標高4000メートル級の山々が並ぶ南極横断山脈越えを含む約600キロメートルを40日間かけて南極点到達を目指す計画だという。

 阿部さんは「今年は白瀬隊が大和雪原に立って110年というアニバーサリーイヤー。110年越しに白瀬隊の旗を再び南極に掲げられるのは自分しかいない。それを達成することが自分の使命だと感じている。白瀬矗が果たせなかった南極点までの思いが受け継がれる、誰も見たことがない瞬間を皆さんにお届けしたい。今年の遠征を実現させるには壁がある。今回失敗してしまったことで、支援を前回同様に集めることは厳しくなることを予想している。それでも、あきらめずに挑戦する姿を応援していただけたらと思う。白瀬隊の旗が110年の歳月を越えて南極点で翻る瞬間を見せたい」と意気込む。

 今回の報告会の配信会場となった「SHIRASE 5002」は、3代目南極観測船「しらせ」として1983(昭和58)年~2008(平成20)年にかけて活躍した船体。南極への渡航回数25回・南極昭和基地への接岸回数24回という記録は日本の南極観測船の中で歴代最多を誇り、2010(平成22)5月2日から船橋港(千葉県船橋市)の埠頭(ふとう)に係留して以来、船内見学会や体験型イベントなどを行う海上施設として活用されている。「しらせ」の船名は一般公募を経た1981(昭和56)年12月に、南極の昭和基地の南側にある広大な氷河で、1961(昭和36)年に日本南極観測隊が白瀬中尉の功績をたたえて命名した「白瀬氷河」にちなんで正式命名された。

 「SHIRASE 5002」を所有する財団法人「WNI気象文化創造センター」は2月10日、阿部さんの再挑戦について、ツイッターで「彼の活動を見守り、応援する」と発信している。

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