「植村冒険館」(板橋区蓮根2、TEL03-3969-7421)で現在、植村直己没後35年メモリアル展「山頂に残された旗 マッキンリーに消えた植村直己の足跡」が行われている。
冒険家として世界的に知られていた故・植村直己さんは1984(昭和59)年2月1日、マッキンリー(現・デナリ、米アラスカ州)の単独登頂を開始。43歳の誕生日を迎えた12日に山頂に立ち、世界初となる厳冬期のマッキンリー単独登頂を成功させたが、翌13日の無線交信を最後に消息不明となった。植村さんの母校・明治大学山岳部OBで捜索隊が結成され、2月20日の捜索で雪洞(せつどう)2カ所と日記、多数の装備類や食糧を発見。厳冬期が過ぎ、山の天候が安定した5月14日に行われた2度目の捜索時、山頂付近の雪上で植村さんの物と見られる日の丸旗と星条旗が見つかった。植村さんは見つからないまま捜索は打ち切られ、最後の交信を行った2月13日が命日となった。
同館2階の展示会場には、捜索隊によってマッキンリー山中で発見された植村さんの装備品や、単独登頂の証しとなる山頂に残された国旗、大学ノートに書かれた最後の日記など、現物を展示する。2月1日から6日まで7日間の行程や植村さんの思いが記された最後の日記は拡大写真をパネル化し、植村さんがセルフタイマー撮影した写真のパネルなども展示する。期間中、DVD「冒険家・植村直己の世界」(2004年製作)の上映を1日6回行う。
同館学芸員の内藤智子さんは「毎年2月から4月にかけて開催するメモリアル展は年4回の企画展の中でも人気が高く、来館者数は1年を通して毎年2月が一番多い」と話す。
マッキンリーの単独登頂は既に1970(昭和45)年8月に達成し、植村さんはこの時「世界初の五大陸最高峰登頂」という冒険家としての栄誉も手にした。最後の冒険となった厳冬期のマッキンリー単独登頂に挑んだ背景について、「南極冒険(再挑戦)の協力を得るためのアピールだけでなく、『自分にはまだこれができる』という自己確認の意味もあったのではないでしょうか」、と展示会場入口に掛けられた解説パネルには書かれている。植村さんは1982(昭和57)年2月から約1年近く南極現地にいながらも、協力を受けたアルゼンチンとイギリスの間で起きたフォークランド紛争の影響から冒険の計画を断念していた。
植村さんの没後35年。板橋区在住の冒険家・阿部雅龍さんが今年1月17日、日本人初となる単独徒歩によるメセナ―ルートでの南極点到達を果たした。阿部さんは再度の南極挑戦を目標に掲げている。
内藤さんは「多くの人に南極への再挑戦を夢見た冒険家の足跡に触れてもらい、植村さんの数々の業績を知るきっかけになれば」と話す。
開館時間は10時~18時(展示室への入室は17時30分まで)。月曜休館。入場無料。4月16日まで。