板橋区在住の冒険家・阿部雅龍(まさたつ)さんが日本時間の1月17日6時20分、「単独徒歩によるメスナールートでの南極点到達」に成功した。阿部さんから衛星通話を受けた所属事務所の「人力チャレンジ応援部」(神奈川県厚木市、TEL046-240-7899)が第一報を伝えた。
「人力チャレンジ応援部」の村上真央さんによると、「単独徒歩によるメスナールートでの南極点到達」は日本人で初めての快挙という。
阿部さんは11月9日に日本を出発し、経由地となる南米チリに滞在した後、南極のベースキャンプ地・ユニオングレイシャーからスタート地・ロンネ棚氷(たなごおり)に日本時間の11月23日到着。悪天候でロンネ棚氷に向かう小型飛行機の出発が遅れ、当初の予定より3日遅れて単独徒歩行スタートだった。
「メスナールート」は、イタリア人の登山家ラインホルト・メスナーさんが1989年、ドイツ人冒険家のアルブド・フックスさんと世界初となる徒歩による南極点到達を果たした際に使ったルート。阿部さんは当初、日本人未踏破の約920キロに及ぶ同ルートを約1カ月半かけて、外部から食料などの物資補給を受けない「無補給単独徒歩」で踏破することを目指していたという。道中、行程の遅れで食料不足となる恐れから計画を変更。12月23日に補給を受け、引き続き南極点に向けての歩みを進めていた。
11月23日の出発から、予定よりも16日多い55日間かけて同ルート踏破を果たした。
阿部さんは秋田県出身。幼少時から1912(明治45年)1月に日本人で初めての南極大陸を探検した同郷の探検家で陸軍中尉だった白瀬矗(のぶ)や、白瀬の南極上陸翌日に南極点到達を果たしたイギリスのロバート・スコット、ノルウェーのロアルド・アムンゼンらの冒険譚に触れ、南極大陸の冒険に心引かれていたという。北極・南極を単独徒歩で横断した冒険家・大場満郎さんの影響も受け、在学中に秋田大学を休学して冒険活動を始めた。
大学を休学した翌年の2005年、南米エクアドルの赤道付近からアルゼンチンの南米大陸道路末端にあるラパタイア湾に至る1万1,000キロを、290日かけて自転車による単独走破を達成。その後も、2度のロッキー山脈縦走トレイル単独踏破(2010年・2011年、計5,800キロ)や乾季のアマゾン川で単独いかだ下り(2012年、2,000キロ)単独徒歩による3度の北極探検(2014年・2015年・2016年、計2,000キロ)、人力車による全国一宮参拝(2016年、6,400キロ)など数々の冒険を成功させてきた。
阿部さんは現在、世界的冒険家・植村直己さんゆかりの地である板橋区内で暮らしながら、体力作りと冒険の活動資金を得るため、2008年から浅草で観光客向けに人力車を引いている。南極までの往復交通費だけでも1,000万円以上という今回の資金も、所属する「人力チャレンジ応援部」の後援会事務局が主催する集会や、クラウドファンディングなど、スポンサー企業や個人から募った寄付金で賄った。
今回の南極点到達に使われたソリの開発には、松本精機(板橋区坂下1)、日進産業(板橋区蓮根3)、タニタハウジングウェア(板橋区東坂下2)、板橋区の中小製造業グループ「イタテック」、アダチ造形社など板橋区と産業防災で連携する新潟県長岡市の企業2社、シナノ(長野県佐久市)などが協力した。
開発プロジェクトリーダーで松本精機社長の鈴木敏文さんは、南極点到達の第一報を受けて「まずは阿部さんに『お疲れさん、ありがとう』と声を掛けたい。彼が新しい出発点に立てたのがうれしい」と話す。
昨年10月2日に板橋区内で行われた壮行会で、阿部さんは「今回の冒険を成功させ、白瀬矗中尉が果たせなかった人類未到の『白瀬ルート』を2019年に踏破したい」と話した。鈴木さんらは、阿部さんの夢実現に向け引き続きソリの開発を続けていくという。
阿部さんは1月下旬に帰国し、板橋区内で報告会を開く予定。