板橋区立植村記念加賀スポーツセンター(板橋区加賀1)内の「植村冒険館」で現在、企画展「没後40年 未発表写真で綴(つづ)る 植村直己・わが青春の山岳部」が開催されている。
「植村直己」の氏名と板橋区仲宿の住所が記された常設展示の非常持ち出し袋
冒険家として数々の記録を打ち立てた植村直己さん。43歳の誕生日を迎えた1984(昭和59)年2月12日、世界初となるマッキンリー(現・デナリ)の冬季単独登頂を果たすも、翌13日の音信を最後に消息を絶ち、今年で40年が経過した。
今回の企画展では、植村さんが冒険家となるきっかけになった明治大学山岳部時代の様子を捉えた50枚以上のモノクロ写真の展示を中心に、「植村直己と明治大学山岳部の活動」と題した明治大学農学部入学からの4年間を年譜にしたパネル、植村直己記念館(兵庫県豊岡市)が所蔵する山岳部で使った「明大」のワッペンが付いたザック、登山靴や旗ざお用に手作りしたペナント(三角旗)などを展示する。展示写真は、1965(昭和40)年の明治大学ゴジュンパ・カン遠征隊や1970(昭和45)年の日本山岳会エベレスト登山隊に参加するなど、その後の植村さんの冒険に同行した山岳部時代の先輩・平野眞市さんが保管していたもので、今回が初公開。
同館の展示担当者は「没後40年の節目にふさわしい企画として、コロナ禍前に寄贈を受けていた貴重な未公開写真の公開に至った。豊岡の植村直己記念館から明治大学山岳部時代の所蔵品も提供してもらい、山岳部の正部員になった大学2年生の若かりし植村直己の横顔に触れてもらえたら」と話す。
植村さんが板橋区内で暮らし始めたのは1969(昭和44)年、28歳の時。仲宿(なかじゅく)商店街から横道に入ってすぐの三畳一間のアパートを借り、家財道具はトランクと寝袋だけ、放浪の旅から帰宅しては海外登山に向けた準備を繰り返す日々を送っていたという。5年後の1974(昭和49)春に結婚した後、夫婦で暮らす新居を仲宿に構え、消息不明となるまでのトータル15年間、板橋区仲宿を生活拠点の一つにしていた。
板橋区は、植村さんの冒険精神「ウエムラ・スピリット」を顕彰する目的で1992(平成4)年3月に「植村記念財団」を設立(2012年=平成24年に公益財団法人化)し、同年9月に板橋区蓮根に同館を開館。旧東板橋体育館を改修した「植村記念加賀スポーツセンター」内に移転し、2021年12月のリニューアルオープンから今年で3年目を迎える。
開館時間は10時~18時(3階展示室の入場は17時30分まで)。月曜、年末年始は休館(祝日の場合は翌日休)。入場無料。2025年2月5日まで。